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Bruce Gutlove ブルース・ガットラブ 
1961年12月18日ニューヨーク生まれ。コーネル大学時代に選んだワイン鑑賞のクラスをきっかけにワインに関する仕事に携わるようになり、1985年カリフォルニア大学デービス校に入学、マスターコースを終了後は、カリフォルニアの名だたるワイナリーでワインつくりの腕を磨く。その後は実績を買われてコンサルティング醸造家として、アメリカ合衆国をはじめ、世界中で活躍。
1989年、日本のココ・ファーム・ワイナリーに招かれ、現在、ココ・ファーム・ワイナリー取締役醸造責任者として、ワインに関する広範な知識や世界的ネットワークを生かしながら、知的な障害を持つ仲間とともにワインづくりにあたっている。

●ウォール・ストリート・ジャーナルの記事から (THE WALL STREET JOURNAL) 
 Surprising Young Employees Help Make Fine Japanese Wine

●ジャパンタイムスの記事から (The Japan Times)
 Wine-lovers go loco for Coco

●ヘラルド・トリビューン日本版の記事から
 http://www.asahi.com/english/Herald-asahi/TKY200504160131.html

●2006年05月06日 2006年4月10日 月曜日 フランス研修
フランスのワイン産地、シャンパーニュとロワール地方を訪ねる10日間の旅のはじまり。
グループの顔ぶれは、ココ・ファームのスタッフ――醸造部のチーム全員と、ゲストルームのスタッフ数名――のほかに友人たち、つまり葡萄栽培家、ワイン・ライター、フランス・ワインと樽のインポーター、といった顔ぶれ。グループのサイズは、日によって“生きもの"のようにふくらんだり縮んだりして、最低 10人から最高17人が、解答を求め、おいしい酒を求めて、フランスを這いまわった。

僕らのツアーの目的は、学ぶこと。
僕らが解答を求めた問題は、きわめて具体的な場合もあった。シャンパーニュでは、少ない量のワインを作るにあたって、シャンパン・メソードをどう改良すべきかを学びたいと考えた。それは僕らのスパークリング・ワイン、ノボの生産と直接かかわる問題だった。僕らがノボを作りはじめたころ、少量のシャンパンを作る質の高いワイナリーはフランスでもごくかぎられていた。だが、いまだに大手メーカーの支配はつづいているものの、この15年のあいだに、年に数千本しか製造しない、質の高い醸造農家の数は急激に増えた。僕らはそういうタイプの生産者を訪ね、ワインの製造量を抑えながら、安定した質の高さをたもつためにどうしているのか、聞いてみた。ロワールでも、やはり具体的な問題について質問した。“自然のままに"、つまり農薬を使わずに葡萄を育てる方法についてだ。僕らがロワールで訪ねようと選んだ栽培農家の多くは、農薬を使う場合もごく控えめにして、有機的に葡萄を栽培しているところだった。僕らがフランスまでもっていった質問の中には、一般的なものも入っていた……ひとつの葡萄畑から最大限の量を収穫するには? 熟した葡萄に、なにを求めるか。なぜいまのようなワインづくりを目指すようになったのか。

旅のあいだ、僕らにはじつにさまざまな出会いがあった。教育熱心な講師、心やさしい変人、予言者、禁欲者、山男、如才のないコスモポリタン、激しさを内にひめた静かな人、見るからに情熱で沸き立っている人、元ヘビー級チャンピオンでフランス系アメリカ人のバス運転手、フォワグラの山、そして川のように流れるすばらしいワインにつぐワイン。毎日が忙しくてきびしく、朝はたいてい6時半に起き、つぎのホテルにチェックインするのは、その日の夜更けになった。出かける前から、このハードでタイトなスケジュールの中で、観光の時間はとれるだろうかと、疑問を抱く者は多かった。僕が大丈夫、その時間はとれないからと請け合うと、みんな文句を言った。だが、途中でおたがいに歩み寄り、「10秒観光」なるものを実現した。城や教会や美しい町の広場が近づくと、バスの運転手に速度を落としてもらったのだ。一同がバスの窓から急いで1、2枚写真を撮り、ひとしきり「わー」とか「おー」とか言い終わると、運転手がぐいっとギアを入れ、つぎの目的地へとバスを走らせた。

この旅の体験は測りしれないほど貴重だった。僕らはたくさんのことを学んだ。そして真剣に考える価値のある問題はどれもそうだが、帰ったときは答えより問いのほうが増えていた。僕には、日本でワインにたずさわる人たちが、フランスでおなじ仕事をしている人たちとひとつテーブルをかこみ、おたがいのワインを酌み交わし、批評しあい、食べ物と笑顔をわけあい、アメリカ人についてわるい冗談を言いあうことだけでも、十分価値があると思えた。フランソワ・デュマ、飯田カナコ、ティエリー・ネリソンなど、この機会を実現してくれたすべての人たち、そしてとりわけ旅のあいだに出会ったワイナリーの人たちに感謝したい。あなた方が葡萄畑に、そして自宅に僕らを迎え入れ、自分たちの考えを、夢を、情熱を、そしてすばらしいワインをわけあたえてくれたことを、心から感謝します。

(僕らのチームメンバーが、旅のあいだに発見したことがらについては、グロワーズクラブの専用ページでお読みいただけます。)


●2005年09月18日 スパークリングワインのことなど
9月3日
あいにく、ニューオーリーンズの状況は前に僕が書いたような程度ではなかった。ハリケーンは西に移動し、町を直撃はしなかったことはたしかだ。だが、自然の猛威が通りすぎたおかげで、町は大洪水に見舞われた。夜のケーブル・テレビのニュースでは、ニューオーリンズが急激に破壊されていくすさまじい光景が続けざまに映し出された。高度な文明を支える大黒柱であるべき政府も、無力だった。「管轄権」や「危機管理」といった無益な論争ばかりが目立つ。人が人を助ける、それを第一に考えるべきときなのに。
商店街で略奪や暴動が起き、老人や子供が食べ物も飲み物もないままぽつんと取り残されている。
自然の脅威と、その威力の前にしたときの人間の小ささを、いやというほど思い知らされる。
僕の心はこの災害のことでいっぱいになり、重く沈んでしまう。

ワインの話にもどろう。
僕らは数日、ココ・ファームのスパークリング・ワイン、ノボのヴィンテージ限定ワインを何種類か、凍らせておりを抜き、コルク栓をして完成させるドサージュの作業に入る。
ヴィンテージは、1992年、1993年、1994年、1995年、1996年、1998年、そして2001年。
どれもこれまで静かに寝かせておいたものだ。つまり、瓶に入れて、第二次発酵の酵母のおり(澱)がボトルの中に入った状態のままワイナリーの貯蔵庫で熟成させてきたのだ。先月は「動瓶(ルミュアージュ)」と呼ばれる作業をおこない、1日に2回瓶を静かに動かして、おりを全部ボトルの首の部分に集め、抜き取りやすくした。
このワインの中には、酵母とワインが瓶の中でとりわけ長い時間を一緒にすごしてきたものもある。たとえば1992年のヴィンテージ(ノボ第1号)は、昨日のおり抜き作業まで、酵母とワインは12間年一緒に眠ってきたのだ。
酵母のおりと一緒に眠る期間が長いほど、ワインの泡は細かく柔らかくなり、香りは複雑に、大地を感じさせるようになる。
瓶の中身はみごとに熟成していて、どのヴィンテージにも独特の個性が感じられる。92年と93年のものは、ふくよかで大地の香りがし、瓶の中で酵母のおりと一緒に重ねた10年以上の年月の影響がはっきりとでている。95年のものは、「変化するワイン」で、豊かで重たいスパークリングから、軽くてきりっとしたスパークリングへと変貌した。96年以降のものは、もっとおとなしく、ミネラルな香りがある。
これらのワインをあけて、すぎさった歳月を振り返るのは楽しい。僕らはマスカット・ベリーAで少量作ったロゼのおりも抜いた。僕はこのワインをブレンドし、友だちで仕事仲間の真智子と一緒に手作業で少しだけ(100本ほど)瓶詰めした日のことを、はっきりと覚えている。ロゼをテースティングしたとき、一瞬、10年以上前の夏の日が甦った。ワインにはそんな力がある。

9月4日
昨日、一昨日と僕らはノボの古いヴィンテージ・ワインのおりを抜き、ドサージュをおこなった。ノボのドサージュ作業は猛烈に神経が張りつめる。ワインのボトルに入っている液体には、「泡」のもととなる二酸化炭素が大量にふくまれているため、王冠をかぶせてあったボトルの圧力は非常に高く、およそ5.5気圧ある。そのためコルクで栓をするときや、つぎの行程へとボトルを移動させるときに、瓶が爆発する場合もある。ドサージュ作業の緊張をやわらげるために、僕はスタッフの気持ちをほぐし明るくさせようと、あれこれ工夫する。
今回は年代のちがうワインのドサージュにとりかかるたびに、僕はスタッフに同じことを尋ねた。「この年の日本の総理大臣は誰だった?」
一番新しいヴィンテージの2001年以外では、誰も答えが言えなかった。ちなみに、正解はつぎのとおり。
1992年 宮澤喜一
1993年 宮澤喜一のあと、細川護煕
1994年 細川護煕のあと、羽田孜、そして村山富市
1995年 村山富市
1996年 村山富市のあと、橋本龍太郎
1998年 橋本龍太郎のあと、小渕恵三
2001年 森喜朗のあと、小泉純一郎

このリストを覚えたら、あなたはここのスタッフより最近の日本史にくわしくなれる。

ここで書いたノボ・ワインは、特別の6本入りヘキサゴン・セットで販売される予定。同じ産地による年号違いのヴィンテージを6種類集めたセレクションだ。
興味がおありなら、ウェブサイトにご注目。ただし、値段もとびきり素晴らしいので覚悟してください。なにせ、在庫に限りがあって40セットしか作れないという、レアものなのだ。

9月9日
今日は、契約栽培農家の秋山さんを訪ねて、山梨まで行った。秋山さんとはもう15年のつきあいだ。一緒に彼の畑を歩き、葡萄のことを語り合い、葡萄栽培にそそぐ彼の愛情を感じるのは、いつも楽しい。
今回は彼の畑で、葡萄の木一本ごとに果実の熟成度を調べて回った。とくに豊かに熟した果実が実った木には目印に黄色いテープを巻き、そのテープにコード番号を書き入れた。こうして目印をつけた葡萄の木をこの先2、3年見守って、同じ畑のほかの木より熟成度も糖度も高く、香り豊かな果実が安定してできるかどうか、たしかめるのだ。つねにほかの木よりすぐれた果実をつけるようなら、その葡萄の木をクローンの素材にし、古い畑で木を植え替えるときや、新しい畑に木を植えるときに、この選ばれた木から切った枝を挿し木して増やす。
午前中は秋山さんがもっているいくつかの区画を訪ねてすごした。最後に行ったのは彼が「山路」と名づけた場所。地元で有名な「鳥居平(とりいびら)」の畑の一部だ。鳥居平は勝沼市のすぐ北にある山のふもとの、けわしい斜面。土壌には粘土と砕けやすい石が入り混じり、斜面は真南を向いていて夏の太陽をたっぷり浴びる。勝沼で、もっとも「グラン・クリュ」、つまり大勢の栽培家が深みと個性のある葡萄やワインを作り出せる「特級の畑」に近い場所だ。秋山さんの畑は、彼が古くからもっている土地だが、最近までは生食用の葡萄を栽培していた。そして2、3年前にそこにメルロー種を植えた。嬉しいことに、メルローはとても順調に育っている。こんなに早い時期から、果実の色づきも香りの強度もいい。今年の山路メルローは、まだ若木ながらも、なにか特別なものを生み出しそうだ。僕は彼の葡萄が順調なので、とてもほっとした。秋山さんはメルローを選んだが、この葡萄は山梨の気候にはそれほどいい反応をしない。このあたりで作られるメルローは、たいてい線が細くて水っぽく、口にふくんだとき豊かさや深みに欠けている。秋山さんから、メルローを植えることにしたと初めて聞かされたとき、僕は心配になり、やめたほうがいいと忠告した。だが、彼はむずかしいのはわかっているが、とにかくやってみたいのだと言った。どうやら彼はメルローをベースにしたワインが大好きで、いつか自分の葡萄で作られたメルロー・ワインを、娘の結婚式で出すという夢をもっているようだった。彼の決心の裏にそんな情熱が隠れていたのを知ったあと、僕は彼に夢を実現させるべきだと励ますほかはなくなった。この日調べた結果では、彼の夢がいつか実現する可能性はとても高いと思う。仕事を終えながら僕は、娘さん(まだ20代はじめ)には誰か決まった相手がいるのかどうか、彼に聞いてみた。秋山さんの話では、まだ相手はいないという……彼女は修士の資格をとったばかりで、いまは研修医としての仕事が忙しく、デートどころではないらしい。
それもまた、さいわいなニュースだ。葡萄の木がもっと成長して根が深く張り、年を重ねて果実に深みが増し、本格的なメルローを彼の娘さんの結婚式で出せるようになるには、あと数年かかりそうだから。





●2005年09月04日 日記から
2005年8月18日
いよいよ2005年の収穫の始まり。
ワイナリーのスタッフとこころみ学園の園生とのチームで熊谷(埼玉県)まで行き、シーズン最初の葡萄を収穫する。
世界のどこでもワインの作り手は、収穫期のはじめに同じことを聞かれる。「今年の葡萄の出来はどうです?」
地質の条件がかぎられているせいで1種類の葡萄だけでワインを作っている栽培醸造農園なら、早々とそんな質問を受けても筋違いではなく、十分答えることもできるだろう。
だがこのココ・ファーム・ワイナリーでは、幅広い種類の葡萄が使われている。たとえば今年、僕らは日本の7つの県にまたがる少なくとも23の葡萄園から、葡萄を仕入れる予定だ。これらの葡萄園の気候は、関東平野(山梨、埼玉、栃木)周辺の温かな地域の畑から、北海道の涼しい場所にある畑までとさまざま。それだけではなく、1樽ほどのワインを作るのに、果実のできぐあいが少なくとも20種類ちがうものが用意される。葡萄の果実は、栽培される地域独特の天候や、収穫年の天候にそれぞれ独自の反応をするのだ。
これほど多くの地域と、これほど多くの品種が複雑に入り混じると、今日収穫が始まっても、僕らは11月なかばまで、こちらの畑からあちらの畑へと収穫を続けていくことになる。
というわけで、今年の葡萄の「でき」を尋ねられても、僕はいましがた今年の予想を記者に聞かれたときのように、事実ではあっても、つまらない答えを口にするしかない。「それを言うには、まだ早すぎます」あるいは「極上のものも、まあまあのものも、よくないものも……」
僕らはいつものように、期待に胸をふくらませて仕事にかかる。おいしい真っ正直なワインが、飲む人たちの顔をほころばせることを夢見ながら……。

8月19日
収穫の2日目。
今日は日本ではよくある天気の変わりやすい日だ。でも雲が低くたれこめ、強い風が吹いているおかげで、日本の8月について回るむし暑さから解放される。葡萄を摘む園生たちは元気一杯、秩父連山が遠くに青くかすむ眺めの中で、野外での作業を楽しんでいる。
園生たちが仕事のペースをつかむにつれて、作業はゆっくり、ていねいになっていく。みんなここには前にも来たことがある。何度も何度も収穫を経験してきたベテランなのだ。仕事の内容は少しばかり単調だ。葡萄の木から木へと移動して、いい果実は収穫の容器に入れ、だめな(堆肥の山行きの)果実はべつの容器に入れる。でも、仕事のサイクルの中で、希望にみちた新しい1ページが開かれる収穫期の始めには、自然とあちこちで笑顔と興奮と楽しげな歓声があふれる。
もちろん、園生たちが嬉しそうなのは、昼休みに葡萄畑の先にある中華食堂で、あったかいラーメンが食べられるから、でもある。
いずれにしても、誰もが楽しげなのを見るのは素敵だ。収穫の時期は、そうでなくちゃ。自然の恵みを祝い、大地の豊かさに感謝する時、そしていまなおすべての人を甦らせる力をもつ、太古の時代から続く作業に、誰もが自由に参加できる時なのだから。
僕がひとつだけ残念に思うのは、仕事の間に歌がないこと。
僕がこれまで働いてきたワイン産地では、葡萄の収穫には歌がつきものだった。カリフォルニアでは、メキシコ系アメリカ人の労働者たちの歌が葡萄畑に響きわたって、作業にはずみをつける。オーストラリアでは、地元の民謡の猥雑な替え歌が、葡萄の木から房を切り取る剪定バサミの音に伴奏をつけていた。
日本では、なぜか葡萄畑で歌が湧かない。今日は仲間たちの元気づけに、僕が日本の歌を歌ってみた。でも知っているのは、幼い娘から習った童謡ばかり。僕の歌に浴びせられたきびしい視線から察するに、葡萄摘みの仲間たちは黙々と仕事をするほうが好きらしい。
というわけで、日本の収穫の伴奏はたいてい沈黙、そしてときおり葡萄の木ごしに冗談が叫ばれる。悪くはない。だがそれにしても、いまだに考えてしまう……僕の「桃太郎さん」は、そんなに下手だったかなぁ。

8月23日
今日は収穫作業はなし。かわりに1日かけて葡萄のサンプル採取。
晩夏から秋にかけて、葡萄は色づいて糖度が高まっていく。その間、僕らは若い葡萄が熟していく過程をたえずモニターし続ける。栽培部のスタッフは、定期的に畑を見て回り、鳥や虫による被害のおそれがないか、葡萄の房にウドンコ病がとりつく気配はないか調べる。そして木の間を歩きながら、無作為に葡萄の房から果実を摘んで、ビニール袋に入れる。袋がいっぱいになったら、果実をワイナリーに持ち帰り、分析調査に回す。葡萄の果実はビニール袋から(新しい)女性用ストッキングの中に移され、ジュースをとるために、やさしくつぶされる。ストッキングを軽めに絞って、ジュース(約150ml)を抽出するのだ。
(余談……。この作業を、以前はワイナリーのヴィンヤード・ディレクター:30代男子がやっていて、彼は毎年サンプル採取の季節のはじめに、女物のストッキングを何組も買いに行かねばならず、きまりの悪い思いをした。いまでは女性の分析担当者がこの仕事をしている。ヴィンヤード・ディレクターは、もう年に一回秋になると女物のストッキングを買うという恥ずかしい思いをしないですむようになった。でも、分析担当以外はみな男という分析室で、椅子の背中に洗い立ての女物のストッキングが干してあるのを見るのは、いつも少しばかりどぎまぎするものだ。)
絞ったジュースは2つのグラスに分けて入れられる。片方は糖度、酸度、pH を化学分析するため。もう片方で、醸造部のスタッフが熟成度を調べる。化学的な分析数値だけではわからない実際に感じる味を見るためだ。ジュースが熟していたら……味と香りが豊かで、口当たりにまろやかで熟した感じがあり、酸のバランスもよかったら……摘み取る時期だ。
今日はそんな票決はでなかった。採取されたサンプルはどれも、まだ若すぎた。

8月29日
ワイン以上に、今日は地球を半回りへだてたアメリカ南部のことが気になる。湾岸沿いのミシシッピ、アラバマ、ルイジアナの各州にハリケーン「カトリーナ」の脅威が迫っている。
アメリカからのニュースは、ハリケーンの進路にまともにぶつかるニューオーリンズに集中している。この町は土地の大半が海抜より低いため、非常に危険なのだ。ミシシッピ川やポンチャトレーン湖から町を守っている堤防が決壊したら、町全体が深さ数メートルの水中に沈むだろう。
僕はニューオーリンズが、そしてあの町の温室栽培の蘭の花が大好きだ。古い南部、フランス、カリブ、アフリカの文化の影響が入り混じった本当にユニークな町で、独特の味わいと個性がある。僕はあそこで忘れられない日々をすごした。若いころに、あまり忘れがたくて、覚えているのは精のつく生牡蠣とハリケーン(強烈な地元のカクテル)だけ、という経験もした。
あの誇り高い町とその住民たちが幸運に恵まれ、この試練にそなえる彼らに神の加護がありますように。

8月30日
いま僕が作りだしたばかりの、古いフランスの格言にいわく。「結婚はやすし、契約葡萄栽培家との仕事は難し」。こんな格言が存在しないとしたら、あってしかるべきだ。
今日僕は、僕らが葡萄を仕入れている群馬県の葡萄園に車で出かけた。そこで葡萄を栽培しているオーナーは、何年も前からの友人で、脱サラをして葡萄栽培を始めた。彼のやり方はとても型破りで、いわゆる化学的な農薬の使用をすべて避け、堆肥やハーブのエキスを薄めたものだけを使っている。
この方法は、ワインの栽培醸造をおこなっているほかの国でも例がないわけではない。だが、葡萄がこれほど病気にかかりやすい日本では、きわめて珍しい。この方法をとっている栽培醸造家もいるが、カビを発生させる雨の影響を少なくするために、畑全体を温室スタイルの屋根で覆うなど、構造に苦心している。われらが群馬の栽培家は、そんなシステムをいっさい選ばなかった。私は彼と何年にもわたって議論をし、なだめすかし、もっと"合理的"な方法で葡萄を育ててはどうか、その方法をとるならまず畑の一角で試してはどうかと言ってみた。だが、彼は頑固に引き下がらず、自分のやり方の正しさと有効性を熱く信じて疑わなかった。そして5ヘクタールの地所の全域で、この方法をとると決めた。
ココ・ファームの僕らは、作物に含まれる人工的要素をゼロにするという彼の目的には賛成だ。僕らも同じことを実現しようと懸命に試してみた。そして農薬を使わずに育てられる葡萄品種と畑の組み合わせがないものかと、いくつか実験も試みている。だが、僕らは文字通り家も抵当に入れ、完全な自己資本で経営しようとしているこの友人の葡萄園のなりゆきを心配した。
いずれにしても、嬉しいことに彼の葡萄園はいたって順調のようだ。被害(大半が虫によるもの)も最低限に抑えられ、質のいい健康な葡萄の木が育っている。葡萄の房(おもにノートン種のヴィティス・エスティヴァリス)が、ワイヤーにたわわに下がり、いま色づき始めている。
彼の家のフロントポーチに座って、谷へ向かって伸びる完璧に手入れの行き届いた葡萄畑を見るのは、本当に気持ちがよい。

8月31日
さいわいニューオーリンズは、ハリケーン「カトリーナ」の直撃を避けられたようだ。
不幸なことに、湾岸全域にわたって被害は大きく、多くの命が失われたと見られている。
僕の人生の中でとほうもなく大きな部分を占めているワインは、目下のところ二の次になった



●過去のブルースのココだけの話検索
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 「葡萄の導くままに。」
ワイン作り最大のポイントをご存じですか。
それは最上の葡萄を用いる、これに尽きるのです。
実際、良い葡萄が手に入れば、醸造技術者の仕事は、その質を保って、葡萄がワインに変わっていくプロセスをひたすら見守るだけなのです。
幸い「こころみ学園」の葡萄畑は、太陽の光を最大限に浴びる南西向きの斜面、水はけの良い石だらけの痩せた土壌と、ワイン用の葡萄作りに理想的な場所。
そして、携わる人々全てが、採算ではなく品質を尺度として、時間と情熱をワイン作りに傾けています。
「日本で優れたワインができるの?」と、いぶかる人がいますが、私の答えはYES。
この国ではワインのための葡萄づくりは端緒に付いた所ですが、成果は着実に挙がっており、少量ながら世界にひけをとらない名品が誕生していると思います。
皆さんがココのワインもそのリストに加えて下さるといいのですが。

「ワイナリーで会いましょう。」
ココのワインに関心を持った方、思い切って足利までいらっしゃいませんか?
ゲストルームでのテイスティング、ショッピングは、冬休みと夏休みの各5日間を除いて年中無休です。
毎週土・日曜はピクニック気分でも研究心でも楽しめる、ワイナリー見学コースをご用意しています。
葡萄畑、発酵タンクルーム、樽貯蔵室をスタッフがご案内。
キッチン・ギャラリーでのブランチもどうぞ。
ご予約など詳細は、0284(42)1194までお問い合わせ下さい。
さて、実際にワイナリーにいらっしゃったらぜひお知らせしたいのが、見学コースでも製造工程をご覧いただけるスパーククリングワイン「のぼ」。日本古来の葡萄とシャンパーニュ地方の製法という、二つの伝統を融合させ、日本的でありながらヨーロッパの洗練が香る自信作です。
「陽はのぼる、美しき泡、たちのぼる」素晴らしいひとときをお迎え下さい!

「和食とワイン。」
今回の話題は和食とワイン。銀鱈の西京焼きとシャルドネの組み合わせが好きな私にとって、
二つの素晴らしい伝統の融合は心弾む冒険旅行ですが、
楽しく旅行するためには、二、三の知恵も必要です。
まず、日本の台所に不可欠の砂糖、酢、醤油は控え目に。砂糖が多いとワインの酸味を必要以上に際立たせ、
酢、醤油が強いと酸化を極力抑えるワインと衝突しがちだからです。
また欧米の食習慣にならって一皿ずつ順に出せば、料理とワインを合わせやすくなります。
その指針は「類は友を呼ぶ」。
スパーシーな食べ物にはスパーシーなワイン、軽い料理には軽いワインという具合です。
こんなコンビネーションはいかがでしょうか?。
トンカツ...わずかに甘いロゼ。 焼鳥(塩)...フルーティで軽めの赤。
鰻の蒲焼き...フルボディの赤。 天麩羅蕎麦...よく冷やしたスパークリングワイン
肉じゃが...フルーティでやや甘口の白。 新鮮な刺身...辛口のしっかりした白。
日本人とワインはまだよそ行きの間柄。
歩み寄って親密さを深める様は、人と人の関係によく似ています。

 


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